2010年03月10日

康子十九歳戦禍の日記@門田隆将

本書は昭和20年広島原爆で亡くなった広島市長粟屋仙吉の次女、当時19歳の粟屋康子の手記や手紙、また家族と友人の証言で構成されています。康子は東京女子高等師範学校で学んでいましたが、広島で亡くなった父ら家族の訃報と被爆した母の看病のため、向かった広島で二次被爆し亡くなるまでの記録です。康子の父、仙吉は昭和史に名高い「ゴー・ストップ事件」での警察側当事者としても知られる人物です。そんな父を傍で見続けてきた康子も気品あふれる凛とした誰からも好かれる人望ある美しい女性でした。しかし、当時は戦時中。康子もやはり他の女性と同じく、帝国陸軍の勝利を確信する軍国少女的な一面もありました。本書で取り上げられている頃には、すでに日本は物資不足に陥り連日空襲に襲われ、もはや日本側は敗色濃厚となっていました。

康子が動員されている軍需工場でも、次々に同僚へ赤紙が届き何人もの若者たちが、特攻隊として散っていました。そんな過酷な状況にあっても、やはり19歳の乙女です。工場の区長(少尉)への恋心を切々と日記に綴り、また台湾からの留学青年に告白され動揺するなど、当時の女学生としては珍しく現代的な一面も見せます。ただ当時は戦時中であり、恋し恋されても明日の命はお互いに解らない時代だったのです。

康子に告白する台湾からの留学青年は、告白することは、死ぬ前に自分自身のために思い残すことのないためだと康子に語ります。彼はいつ赤紙で特攻隊へ配属されてもおかしくない状況だったのです。このことを康子は次のように日記へ綴っています。

「特攻に行く人は誇りです。でも、それを強いるのは、国として恥だと思います。特攻はあくまで“目的”であって、“手段”であってはならないと思うの」

若干19歳の康子であっても、戦争がどういうものであったか、戦地や特攻という形で命を散らす若者、そして犠牲となる一般市民の命の尊さをしっかり見据えていたのです。

そして8月6日の3日後、康子は広島の家族が被爆したことを知るのです。康子はすぐさまあらゆるつてを使って、広島へ向かいます。そこで待っていたものは、父と兄と姪の訃報でした。さらに何とか命を取り留めた母は重傷を負っていました。先に戻っていた姉と共に康子は懸命に看病しますが一月後母は亡くなり、不幸にも康子はそこで二次被爆してしまうのです。

その後、東京に戻った康子の元へ疎開先から戻った妹は愕然とします。それまでの美しかった姉とはうってかわって、頬がこけ痩せ細った病床の康子がいたからです。妹近子は、家族が原爆で亡くなったことをそこで初めて知り、それも相まって10才の妹は泣いて姉に駆け寄りました。康子は妹へ語りかけます。

「お姉ちゃんが悪かったの。お姉ちゃんはね、あなたのところへ行ってお母さんのことを話そうと思ったの。あなたにお手紙でお母さんのことを話したら、あなたがどんなに嘆くかと思ったの。だけどお姉ちゃんが病気になったので、あなたのところへ行けなくて今ここへあなたを呼んだの。

ちいちゃん。あなたがお母さんをどんなに待ちこがれてここへ帰ってきたか、お姉ちゃんにはよくわかるの。だけど、お母さまはいらっしゃらないの。もう、この世にはいらしゃらないの。我慢しましょうね。お互い一生懸命がまんしましょうね。ほんとうにいい子になってちょうだいね。

お姉ちゃんね、あなたのためなら、これからどんなことでもするつもりです。どんな無理をしてでも。お姉ちゃんがあなたたちに寂しい思いはさせないつもりなの。だから、ね。元気を出して。お姉ちゃんを許して・・・・。」

康子に告白した台湾の青年が最後に見舞ったのは、康子の死の3日前でした。青年は康子からもらった髪の束をその時も大事に懐にしまっていました。その康子は死の床にあっても青年に会うため化粧をし、身支度を整え、自身の死期を悟ったように「お世話になりました」と語ったといいます。死の3日前でした。

康子が十九年の短い生涯を閉じたのは、昭和20年11月24日午後11時、二十歳まであと一ヶ月余を残してのことでした。

本書は康子の19歳から約一年間を手記と手紙を中心に、その姉妹や友人すごした日々が綴られています。ここには戦時中の生身の若者たちが活写されています。戦争のさなかにあっても、現在の若者と同じく、恋愛に花を咲かせ時には嫌いな教師にイタズラをしてみたり、時には発禁書を読んだりといった、そこにあるのは今も変らぬ瑞々しい青春の姿です。そんな中にあっても康子の家族や友人への心遣い、そして淡い恋心を綴った文章は今読んでもひと際輝いてみえます。

たぶん康子という二十歳にも満たない乙女は、戦争の愚かさというものを肌身で感じていたのだと思います。恋心を抱いた人が戦地へ赴き、また死地へ旅立つために好きな女性の髪を求めた青年。そこには輝かしい青春の日々と共に、明日をも知れぬ死の恐怖という戦争の不条理があったのです。

最後に、現在でも康子の友人たちは、康子を偲ぶ集いを行っているそうです。台湾の留学青年が康子を思い、青年が台湾に植えた赤いバラは今も咲き続いています。

康子十九歳 戦渦の日記
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2010年01月10日

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録

無農薬・無肥料栽培のリンゴ農法を実践している木村秋則さんを取材した内容です。ご存知の方もおられるかもしれませんが、本書の木村秋則さんは、NHKで取材されたことにより一躍脚光をよび、本書もベストセラーになりました。

ですが、アマゾン等のレビューを見る限り、読者の期待と内容は違っている部分もあるようです。私も前評判では感動作また農業のノウハウが詰った一冊だと思って読んだのですが、それとは違って感じました。

確かに帯に「ニュートンよりライト兄弟より偉大な奇跡を成し遂げた男の物語」とある通りでしょう。それに、「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り会う」というこの内容のキャッチコピーにも嘘はないと思います。ですが、あまりに木村さんという人が、悪い意味ではなく一般とはかけ離れすぎていて、誰も真似できないある種の凄さがあります。それに前に書いた通り、この本では具体的な無農薬無肥料栽培についての記述が曖昧でよくわからないところもありました。これは他の多数の読者も同様の感想をもったようです。

これは、木村さんよりも取材者が、木村さんのこれまでの歩みをよりドラマチックに描こうとしているためだと思います。木村さんが、それこそ「偉大な奇跡」ともいわれる、それまで誰にもできなかった、リンゴの無農薬無肥料農法を実践するために、6年間も家族を犠牲にし、周囲からは疎まれ、あわや自殺まで考えたことを、ことさら取材者が強調するほど、逆に木村さんと読者の間に乖離が生じているのではないかと思います。

無論、誰もが木村さんの業績というものは素直に評価に値するものだと思います。ですが、読者がそのまま木村さんのような生き方を真似あるいは参考にできるかというと、疑問がわきます。それに、木村さんの農法についての記述も漠然としていてよくわかりません。つまり本書は、表紙を見てもらえば分かりますが、表紙の歯が抜け落ちた木村さんの柔和な表情がすべてを物語るように、木村さんのキャラクターと人生がメインで、どちらかというと成功者の立志伝とか偉人伝のような読み方をすればいいのかなと思います。ちなみに、木村さんの農法については、他の本に詳しく書かれているようなので、それをお読みになってもいいと思います。

少し腐しすぎましたが、もちろん本書は自然農法に対する木村さんの考え方や、また農業や人と自然の理想のあるべき姿を知る上ではこのうえなく良い本だと思います。そして、木村さんの先進的な農法や自然への取り組みは、環境やエコロジカルな意味でもこれからますます重要になってくると思います。

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2009年11月01日

友がみな我よりえらく見える日は

離婚した人や、家族に捨てられた人、容姿のために結婚できなかったり、障害を持ってしまい全てを失った人、そんな人たちを、著者は私情を挟まず淡々と描写しています。

本書に出てくる人は皆、日々を1人でひっそりと生きているのだけれど、すべからく孤独な人たちばかりです。本書の紹介では「人は劣等感に苛まれ深く傷ついたとき、どう自尊心をとりもどすのか。心があたたかくなるノンフィクション」と書かれていますが、読んでみて思うのは、自尊心どころか、この人たちはいまだに喪失感と孤独感のただ中にいるのではないかと思うのです。

私はは人ごととしては読めませんでした。この本の登場人物たちは、みな人との関わりが苦手だったり、人との付き合いがちぐはぐになってしまう人たちばかりです。そしてそれぞれにそれを分かっています。

ある人はあきらめ、ある人は目を背け、ある人はそれこそが自由だと言います。しかし、初めからこうではありませんでした。人並みに結婚して子供をもうけ、父となり母となり、希望や目標を持ち、毎日が輝かしかった頃もあるのです。

ですが、不況であったり、相手の裏切りであったり、どうしようもない自分のこだわりが、彼ら彼女らを孤独と寂しさのただ中に引きずりこみました。

しかし、あるホームレスは人を信じることを捨てませんでした。失業寸前のネガ編集者の女性は、最後の1人になるまで仕事に誇りを持っています。ホームレス同然の元芥川賞作家は、最後に言いました「自分の道はひとりで歩くしかない」。

人は誰でも一つは悲しい過去を持つものかもしれません。彼ら彼女らは、決して特別じゃないんです。この世の中は、幸せな家族や、セレブと呼ばれる女性たちや、立身出世の青年社長や、ましてや何不自由なく暮らす成功者たちだけで成り立っているわけではありません。

むしろ現在の社会状況の中では、本書の人々のような人たちこそ、私たちは共感させられます。この人たちは、誰も恨みません。そして事実を事実のまま受け入れています。淡々と日々を過ごし、“この先、もしかして・・・・”というほんのわずかな希望を抱いて生きています。

登校拒否児童の少年の話が紹介されていました。学校になじめず、同級生に仲間外れにあい、次第に学校に行けなくなってしまった少年。彼は、自身を題材にした4コマ漫画を描いています。主人公はいつも無反応。それに対してまわりの人間が勝手に反応して、泣いたり、怒ったりするという内容です。

学校に行こうと思っても、直前になると行けなくなります。しかし、その後定時制高校には何とか通えている少年。プレッシャーが少ない定時制高校では、誰にも喋らなくてもいいからです。

しかし、不安はまだ残っています。この前も授業中に不安になり、教室を抜け出してしまったのです。暗い美術室ひとりずーっと座っていました。

先生が少年を見つけて、「なにしてんだ、お前はこんなところで」と言います。
先生の後ろにいたクラスの人が「どうしたんだよ」と声をかけてくれました。


「何て答えたの?」著者は聞きました。
「なにも、笑ってた」と少年は言います。
「不安なんですって言わないの?」
「そういうとこ友だちに見せちゃダメなんです」
そういうと、少年はひざに涙がポトっと落ちた。
「とにかく、マンガにすがりついていないとダメになりそうなんです」
ひざの上で手をギュっと握りしめている。
日が落ちて部屋が暗くなっている。
床も椅子もテーブルも、テーブルの上の湯呑みも急須も花瓶も闇に沈んでいる。
ただ、テーブルの上に広げたマンガの下書きだけが白く光っていた。


無関心という無視、青春を謳歌する皆のなかで、1人暗闇のただ中だった学生時代。声をかけてくれた同級生に、返事できなかった自分への嫌悪、絶え間ない孤独、この社会というものに対する生きづらさ。

友がみな我よりえらく見える日、
きっと少年の孤独は僕かもしれないし、あなたかもしれない。

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2009年01月01日

強く生きる言葉

       岡本 太郎(オカモト タロウ)

       1911年、東京生まれ。岡本一平・かの子の長男。
       東京美術学校に入学するもすぐ中退、
       30〜40年までパリに住む。
       数々の芸術運動に参加する一方、
       パリ大学で哲学・社会学・民俗学を専攻、
       ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。
       戦後、創作活動を再開、現代美術の旗手として
       次々と話題作を発表した。
       70年の大阪万博テーマ館「太陽の塔」は
       国際的な話題となった。1996年、没

       岡本 敏子(オカモト トシコ)

       財団法人、岡本太郎記念現代芸術振興財団理事長。
       1926年千葉生まれ。1947年東京女子大学卒。
       以後、岡本太郎の死去まで約50年間あらゆる制作に立会い、
       取材に同行、口述メモし執筆を扶ける


       
 
      《目  次》

       自分

       人生
      
       世の中

       恋愛

       岡本太郎

岡本が生前残した著書や発言からの言葉を切り取った本です。
最初から読む必要もないし、パラパラとめくったページから読むのもいい


 ただ、どの言葉も金言であり、すべてが岡本太郎なのです。
 アマゾンのレビューにもあったけれど、10代、20代の若者なら、
 たちどころにまいってしまうのもうなずけます。


 岡本太郎とは、その作品よりも人物、キャラクターが印象的ですが、
 その作品を見てみてあらためてこの言葉の意味を
 理解できるかもしれません。


 この作品群があるからこそのこの言葉。
 いくつかの作品を見てみてそう思います。
 原色をふんだんに使い、ほとばしる情熱と感性をたたきこんだ抽象絵画。


 しかし、僕がもっとも岡本の人となりを感じたのは
 たくさんのオブジェでした。


 岡本らしく個性的で情熱のほとばしる作品なのは間違いありませんが、
 そのまなざしというか、岡本が見つめる人間や、この世界、
 そして芸術というものに対するなんとも温かくて
 慈愛に満ちたものでしょう。


 僕はネット上でしか見ていませんが、
 どれも一瞬そのユーモラスなたたずまいを思わせ、
 次第に彼の温かいまなざしを感じてしまうのです。

 僕の言葉より、岡本自身の言葉を紹介したほうがいいかもしれません


   きれい

 「きれいな女の人に会っても、ただきれいだなと思うだけで、
  さして気にとめないことが多いのに、いっぽう、
  きれいだとも思わないのになにか惹きつけられる人が
  いるだろう。

  そして、その人がすばらしい女性だったら、
  つきあっていくうちに、内のほうから美しさが輝いて
  いるような感じで、ついには、
  ほんとうにきれいであるような気さえする。
  そんな人は美しい。」


   意思

 「意思を強くする方法なんてありはしない。
  そんな余計なことを考えるな。

  きみはほんとうは激しくいきたいんだよ。
  だから、“死”が目の前に迫ってくる。
  それはとても正常なことだ。」


   自分の歌

 「他人が笑おうが笑うまいが自分で自分の歌を歌えばいいんだよ。
  歌にかぎらず他人の判断ばかりを気にしていては
  本当の人間としての責任がもてない。

  もし自分がヘマだったら“ああおれはヘマだな”と思えばいい。
  もし弱い人間だったら“ああ弱いんだなあ”でいいじゃないか。」


   決意

 「生涯を通じて、決意した自分に絶望的に賭けるのだ。
  変節してはならない。

  精神は以後、不変であり、年をとらない。
  ひたすら、透明に、みがかれるだけだ。」


   人生とは

 「人生は、他人を負かすなんてケチくさい卑小なものじゃない」


 すべてが、“強く生きる言葉”です。

強く生きる言葉
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岡本 太郎

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細木数子 魔女の履歴書

《著  者》  溝口敦 著          

《出 版 社》  講談社 (ISBN:4-06-213727-5)
《価  格》  1,365円(税込)
《著者紹介》 みぞくち・あつし
      
       ノンフィクション作家・ジャーナリスト。
       1942年、東京都に生まれる。
       早稲田大学政治経済学部卒業。
       出版社勤務などを経てフリーに。
       常にきわどい問題を扱い続ける
       ハード・ノンフィクションの巨匠。
       「食肉の帝王」で、
       第25回回講談社ノンフィクション賞を
       受賞した。
       著作には、
       「武富士 サラ金の帝王」
       『池田大作 「権力者」の構造』
       『渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」』
       「血と抗争 山口組三代目」
       「撃滅 山口組VS.一和会」
       などの一連の山口組ドキュメントがある。
 
      《目  次》

      時代の「寵児」なのか?
      妻妾同居の家に生まれて
      色と欲の「同行二人」
      小金井一家・堀尾昌志との深く永い契り
      他人のふんどしで占い師・細木の土俵入り
      島倉千代子というカモネギが来た
      歴代首相の指南役・安岡正篤をたぶらかす
      細木を使うテレビ局の無残な無定見
     「神水から墓石まで」の細木商法
      墓地が炙り出す「最愛の男」


 この本ではそれまでの細木本の中でも裏社会
 つまり暴力団との関わりを中心に掘り下げた内容になっています。
 著者の溝口敦氏は広域暴力団とりわけ山口組を背景とした闇社会を
 長年取材してきたルポライターです。
 

 ですから、多くの組関係者の証言を聞き取り、
 細木が月1回行う鑑定会にまで潜入して、
 今までに無かった細木と闇社会のつながりに迫っています。


 過去、細木関係の暴露本としては、「細木数子の黒い真実」と
 霊感商法による被害者が書いた「細木数子地獄への道」がありましたが、
 本書はそれらを総括した内容になると思います。


 そもそも細木は暴力団との関わりを認め、
 それは業界の既成事実だというのに、
 なぜテレビ局は細木を使い続けるのか、
 答えは細木なら視聴率が取れるということでしょう。


 それに、高齢者を中心に細木を支持する層も存在するといいます。
 女ヤクザばりに、歯に衣着せぬ物言いは一見して
 物事をスパッと斬って捨てるようなカタルシスを
 視聴者に与えるのかもしれません。


 はたして細木は大衆に向かい常識や正論を唱えられるほどの人物なのか、
 その過去と経歴を知るものは、どの面さげて・・・
 と言いたくなるような妄言の数々。


 そして出演者に向かい「あんた、このままじゃ死ぬよ」「自殺するよ」
 「地獄に堕ちるわよ」といった本性を垣間見せるような発言。
 このような細木の発言の真意はどこにあるのでしょう。


 そして、したり顔で常識、美徳、品行方正を訴えながら、
 毎晩のようにホストクラブに数百万をつぎ込み、
 それを喜色満面に広言する細木。


 細木を現在の地位まで奉ってしまったテレビ局、
 その細木を信奉する視聴者双方に問題はありますが、
 やはり一番の問題は細木自身にあるのだと思います。


 細木は1938年(昭和13年)渋谷・丸山町で生まれています。
 父親は敗戦の年の2月、70歳で死んでいます。
 この父親自体も政治ゴロ、政商、チンピラ等々いわくつきの人物でした。


 生家は妻妾同居の家であり、細木と兄妹たちは産みの母親
 (別に戸籍上の母親がいる)が渋谷・百軒店で営む
 小料理屋の稼ぎで育てられました。
 「娘茶屋千代」がそれで、同店では店の女性が
 客の求めに応じて売春していました。


 細木は中学生の頃からカウンターの中で接客したほか、
 時に客引きし、客が女給に支払った買春料金を
 女給との間で折半していたといいます。
 こうした環境下に少女期をすごした細木が特異な性愛感や男女観、
 金銭感覚をもったのは当然でしょう。


 その後の細木の銀座のクラブなども、やはり売春ありきの店であり、
 細木が現在言うほど儲かってもおらず、むしろ銀座を荒らし
 ヤクザとのトラブルがたえない店だったといいます。


 いくつかの結婚と離婚を経て、
 ヤクザとのトラブルの果てに借金を負わされたところを、
 小金井一家総長の堀尾昌志と知り合うことで、
 現在の細木につながっていきます。


 時折、細木が口にする当時最先端のディスコ「マンハッタン」の開店は、
 ある占い師との出会いが始まりでした。
 もちろん後の細木の占い師として人生を決定する人物です。


 はっきり書けば細木の占いは素人の域を出ないものだといいます。
 細木の的中率の低さは有名ですが、一説によると63%が
 ハズレているともいわれています。


 細木の「六星占術」は「神・真理占星学会」会長・神煕玲(じんきれい)の
 「六大天中殺」からのパクリであり、歴代首相の指南役・安岡正篤から
 教えを受けた云々は単なるハクヅケです。


 細木は認知症に罹った最晩年の安岡正篤に取り入り、
 わずか2ヶ月間、戸籍上の妻に納まったにすぎません。
 とはいえ、占い師の立場はプライバシーに立ち入った
 無礼な発言を細木に許し、細木を「先生」と呼ばせる権威を与えます。


 また細木の強みは、彼女の背後にうかがえる暴力団の影でしょう。
 細木は最初に稲川会幹部・滝沢良次朗(滝沢組組長)の情婦になり、
 次いで小金井一家の幹部(後に同一家八代目総長、二率会の会長代行)
 堀尾昌志の内妻になります。


 堀尾との関係は30年余に及び、堀尾が1992年に死んだ後も、
 精神的な内妻関係を続けています。


 これは堀尾と小金井一家歴代総長の墓が細木家代々の墓に
 隣り合って立っていることからも窺えます。


 堀尾を核として発したヤクザ人脈は現在も続き、
 細木は今なお広域暴力団の首脳や最高幹部らと
 親しく交際しているといいます。


 そして最後に細木の資金源です。
 勉強会や相談会、墓石販売、大国教会などの
 宗教法人まがいの活動でつちかった財力と組織力があります。


 細木に年間流入するカネは24億円前後と推定されます。
 これらの物品・サービスの販売は細木に強い経済力を与え、
 番組出演料以外に強い経済基盤をもつ点、
 支持集団を持つ点で、細木は芸能人を前に
 自ら「先生」と称えて平然としていられます。


 細木から「地獄に堕ちるわよ」と言われた者は、
 細木から「地獄に落とすわよ」と受け取って恐怖し、
 沈黙せざるをえません。


 というのは細木の占いは呪い殺しの世界と地続きだし、
 細木が暴力団に強いパイプを持っていることは、
 前述したように業界の共通認識だからです。


 いざとなれば細木は暴力団を使えます。
 だからタレントも怖い、よって細木の放言を許すという
 構造になっていきます。


 現に「週刊現代」に連載された本書の連載に対しても、
 広域暴力団の元最高幹部と別の広域暴力団の最高幹部を使って
 「記事をやめられないか」と圧力をかけてきたという事実もあります。


 著者は細木が体質として持つ低俗性には
 いくつかの特徴があるといいます。
 下品さ、金権主義、事大主義、教養や常識のなさ、
 はすっぱな物言い、勝ち組志向、弱いものいじめ、
 自己省察の欠如、没論理性などがそれです。
 だからこそ細木の人間性は電波にのることで
 影響力を拡大してはならない類だろうと書いています。


 暴力と札束を背景とした細木の深い闇は、
 マスコミにとって細木に利用価値がある間は
 まだまだこれからも拡大していくのかもしれません。


 かといって、細木を信じる人を僕は否定しません。
 信じるも信じないも本人の意思であり、
 見るのも見ないのも自由だからです。


 しかし、細木をことさら持ち上げて、
 持ちつ持たれつの関係で甘い汁を吸っている
 出版社やテレビ局は別です。


 この本によれば、細木の過去もその行いもすべて知った上で、
 細木をテレビ界の寵児に仕立て上げた責任があります。


 視聴率至上主義と言われて久しいですが、
 細木の信条は「マスコミと国税は敵にまわすな」だといいます。
 占いしかり、島倉千代子との騒動しかり、
 そして現在の細木しかりで、
 マスコミと細木はお互いの利害の一致によって、
 それまでの過去はなかったものとされています。


 さらに暴力団と親交があり、
 電話一本でヤクザを動かすことができると
 本書では書かれてありますが、
 逆に冷徹で金のためなら組員の指を詰めさせることも
 いとわない細木に対して、恨みをもつものも多く、
 そういった意味で著者の取材にはヤクザから業界関係者まで
 多くが協力したと書いてあります。


 戦後の荒廃した日本で育ち、たった一人で闇社会とはいえ、
 のし上がってきた細木数子。その食指は今、メディアを通して
 より多くの人たちの身にふりかかっているのかもしれません。


 現在、著者は「週刊現代」に連載した本書について、
 細木と係争中だといいます。裁判の過程によっては
 もっと凄まじい事実が出てくるやもしれません。


 細木数子。それは、時代のもつ低俗性が生み育てた
 “稀代の女ヤクザ”だといえるでしょう。

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2008年10月25日

リリー、モーツァルトを弾いて下さい

      《著者紹介》
 
       1956年、東京生まれ。
       東京大学卒。1980年、NHKに入局。
       ディレクター・プロデューサーとして
       多くの番組を手がける。
       1999年、ロンドンに派遣され、2002年に独立。
       英国に留まって、文筆活動に入る。
       

  《目  次》

       地下室の尋問
       ハンガリーの奔馬
       桜の国
       最後の楽園
       治部隊
       ニロム放送局
       ハ短調協奏曲
       慈善演奏会
       生き地獄
       ピアノ
       抑留所長
       鳩の家
       モーツァルトふたたび
       
      《内容と感想》

  リリー・クラウスはピアノ奏者として、
  世界で名をはせたモーツァルトの名演奏家です。
  さらにヴァイオリニスト、シモン・ゴールドベルクとのデュオでは
  世界のクラシック界を席巻し、数々の名演奏を残しました。


  リリーは1903年ハンガリーの首都ブタペストに生まれ、
  貧しいながら8歳でハンガリー随一の名音楽院、
  音楽アカデミーに入学し主席で卒業します。


  その後、ウィーンの音楽院に進み弱冠20歳で教授に就任し、
  バルトークやシュナーベルも認めるほどの
  天賦の才能をもったピアニストでした。


  しかし、当時のヨーロッパはナチスの台頭により、
  不穏な空気が漂っていました。
  リリーの夫マンデルそしてパートナーのゴールドベルクは共にユダヤ人。
  戦争の足音の聞こえるヨーロッパでは、
  ユダヤ人の活躍の場は限られていました。
  リリーたちは、安住の地を求め演奏旅行の名目で世界を放浪するのです。


  戦争が拡大を続ける中でもリリーとゴールドベルクのコンサートは、
  大成功をおさめていました。
  その公演先の1つとして、立ち寄ったのが現インドネシア、
  旧オランダ領ジャワでした。


  しかし、戦火を逃れてやってきたジャワですら安全ではなかったのです。
  真珠湾攻撃の成功に勢いづいた日本軍がジャワに進撃してきたのです。
  オランダ軍の守備隊は反撃の余裕すらなく撃破され、
  瞬く間にジャワは日本軍に占領されてしまいます。


  進駐する日本軍にはジャワの住民たちを順化させるため、
  宣伝部隊が伴われていました。
  宣伝部隊には、当時日本有数の芸術家、音楽家、
  文学者を含めた大掛かりなものでした。


  大東亜共栄圏の名のもとに、
  表向き植民地からの開放という名目で行われた統治は、
  ナチスのゲッペルスが用いた宣伝手法を参考にし、
  メディアから文化芸術にまで及びました。


  そんななかで、ジャワに滞在中のリリーに白羽の矢が当たるのは
  時間の問題でした。


  放送局に呼び出されたリリーはジャワと日本のために
  演奏をしなければなりませんでした。


  たとえ敵国の人々であっても、
  聴衆が求めるのならどこででも弾くことを信条としていたリリーは、
  求めに応じます。


  そんな中で、リリーと音楽や芸術を愛する日本兵たちとの交流は、
  リリーの張り詰めた心を溶かしていきました。


  敵に協力しているという非難の声もあるなか、
  戦時下とはいえどリリーはその熱意と意欲によって
  今まで通りの名演奏で喝采を浴びます。


  しかし、戦況が悪化してくるとリリーの身にも暗雲がたちこめます。
  夫マンデルとゴールドベルクがユダヤ人だということで、
  リリーにも当局から疑いをかけられます。
  幸い疑いは晴れますが、敵性外国人として収容所へ送られてしまいます。


  悪化する戦況と収容人数の増加によって、
  収容所は劣悪な状態でした。
  しかし、リリーの音楽に理解をしめす宣伝部や所長のはからいによって
  収容所での慰問コンサートが行われます。


  しかし、皮肉にも関係の悪化していたリリーとゴールドベルクのデュオは
  これが最後となるのです。


  やがて敗戦によってリリーたちが開放された時、
  リリーは真っ先にグランド・ピアノのある放送局へ向かいます。
  戦争の終結で自由の身になったリリーは
  一心不乱にピアノを引き続けました。


  その後、リリー一家と交流し物心両面で支援した
  日本人たちとの交流は途絶えますが、
  18年の歳月は日本人たちとの絆にとって
  何の障害にもならかったといいます。
  それはリリーが亡くなるまで続けられました。


  この話は実話に基づいていますが、
  著者の意向でノンフィクション小説として書かれています。


  この本で描かれるリリーの音楽に対する情熱や
  モーツァルトに対する思い入れなど強く伝わった作品でした。


  とくに、リリーのコンサートの場面は圧巻で、
  リリーをはじめ様々な日本人たちそして聴衆たちの描写は
  そこにモーツァルトの旋律が流れているようにも感じられるもので、
  著者の音楽に対する愛情すら感じます。


  この本を読むに際して、クラシック音楽とくに
  モーツァルトが好きな方ならもっと感動が深いかもしれません。
  リリーの演奏するモーツァルトの名曲が次々に登場するからです。


  それとリリーとそれを取り巻く日本人たちを通した
  占領下でのアジアの状況、
  とくにメディアをとおした占領政策についても興味深い読み物でした。


  リリーは、死ぬ最後の日まで日本のことを、
  第2の故郷とよぶほどの日本びいきとして知られていました。
  戦時下での極限状態で、敵国の名ピアニストと
  芸術を愛する占領軍兵士の交流は、
  悲惨な戦火の中でおこった数少ない奇跡だったのかもしれません。

リリー、モーツァルトを弾いて下さい
リリー、モーツァルトを弾いて下さい
多胡 吉郎

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posted by hermit at 15:23 | Comment(0) | 人物(本)
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