2010年03月15日

【写真集】腕白小僧がいた@土門拳

思わず微笑んでしまう。そしてどこか懐かしい気がする。そして切なくなる。この一冊の写真集の中にはたくさんの表情の子供たちがいる。幸せそうに微笑む子供たちも、寂しそうな子供たちも、楽しそうに遊ぶ子供たちも、そして孤独を耐え忍ぶ子供たちも。ですが、この子供たちの表情は何と生き生きとしているのでしょう!

本書は昭和20年代から30年代にかけて東京の下町や筑豊の子供たちを撮影した写真集です。昭和20年代といえば、戦後間もなくの時代です。当然、写真の子供たちは瓦礫の中や古びた長屋のような情景がほとんどです。

子供たちのいかにも自然な表情。その秘密は土門拳の撮影方法にありました。路地や広場をぶらぶらと歩き、子供たちが遊んでいると、土門も子供たちの中に入り一緒に遊ぶ。いきなり撮影したりはしません。ただ手持ちの飴玉をあげたりして何時間も一緒に遊ぶ。そうして土門が子供たちの中で違和感がなくなったら撮影する。だからこその、この子供たちの生き生きとした表情なのです。

この写真集の中でも筑豊の子供たちの表情は、どこか土門の憂いと哀しみが感じられます。両親が失踪し残された姉妹。ボタ山で石炭を拾っている子供たち。そこには、子供たちを通して伝わってくる貧困と飢え、そしてそのしわ寄せを最も受けている子供たちの哀しみの表情です。小さなぼろ家で両親を待ち続ける姉妹。そこにはどうしようもない貧困の現実が写し出されています。

しかし、いくら貧乏や孤独であっても、これらの子供たちから伝わってくる力強さは一体なんなのだろう。それはひとえに逞しさともいえるし、力強い生命力ともいえるような、子供たち一人ひとりの意思の力のように見えます。

よく本書のような写真集を見ると、懐古趣味とか昔は良かった的なことがいわれますが、それよりも、かつての子供たちは現代の不況とは比べ物にならないほどの極貧の中でも、生きてゆく逞しさ、そして生き抜く力を持っていたのです。この力強さこそ戦後の高度経済成長を担えた力だったのだと思います。

それはともかく、ページを開くたびに様々な子供たちが、生き生きとした表情を見せます。さて、土門拳が今も健在だったとして、現代の子供たちを被写体にするならば、現代の子供たちは一体どんな表情をするのでしょう。きっと現代の子供たちだって現代なりに色んな表情を見せてくれるのかもしれません。子供というものは、いつどのような時代であっても、そういうものだと思うから。

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posted by hermit at 12:53 | Comment(0) | 小説・フィクションその他

2010年02月26日

吉川千穂詩集『再生』

詩人の吉川千穂さんがはじめての詩集を出されました。たぶん拙ブログを読む方でその名を知る方はいないと思います。吉川氏は野の花というハンドルネームで知られるブログ「野の花のように―統合失調症の主婦エッセイ」で活動されるネット詩人のお一人です。詩集「再生」では、ご自身の病である統合失調症の闘病体験から着想を得た作品から、次第に同じ病を持つ人々の間で知られてゆくようになりました。

同じ統合失調症を持つ詩人といえば詩人佐々木寿信氏などを思い浮かべますが、佐々木氏の無垢な童謡詩に対して、吉川氏の詩は、孤独や命そして生きてゆこうとする力強さを感じさせる詩です。

吉川氏の詩の世界は、学生時代に1966年にノーベル文学賞を受賞したドイツのユダヤ詩人ネリー・ザックスを研究していたこともあり、その詩は明瞭とした分かりやすい言葉が選ばれており、その澄んだ詩の世界が同病者やまた様々に心に悩みを抱える人たちの共感を受けました。

この詩は「再生」の題名通り、詩を通して孤独や死からの再生がテーマとなっています。例えば表題作「再生」では、死と絶望からの再生が吉川氏の体験を通して綴られています。

すべてが崩れ落ちたあの日から
ぼくは再び生きる道を探った
一度死にかけたぼくは
生きることを二度学ぶ
そろりそろりと歩いては
弱い雨風に怯え震え
優しい光を受けて
安堵のため息をつく
ぼくはそんなにも弱かった
崩れ落ちた何もかもを
もう一度信じることから始めた
いのちは生かされた
この運命には逆らえぬ
ぼくの再生への道のりは
傷が癒えるのに似て
ゆっくりと音もなく作られていった

初冬の柔らかな光に包まれ
今ここに在る
振り返るあの崩壊の日が温かい

(野の花のように―統合失調症の主婦エッセイ「再生」より)

吉川氏の詩の世界は、その救いと共感にあるのだと思います。ご自身の病による過酷な体験もあり、統合失調症という病だけでなく、社会で苦しむ弱者の声無き声に耳を傾けていることでしょう。

路傍に咲く野の花のように
ただ在るという人間の価値
地位も名誉も失って
ぬくもりの他に何ももたない
弱きぼくらは争いを止め
寄り添い
慈しみ
ひっそりと温め合う
執着を忘れてただそこに在る
ぼくらの本当の幸福よ


DSCN0587.JPG

この詩集は吉川氏のブログ「野の花のように―統合失調症の主婦エッセイ」から税込み¥1575。送料、振込手数料は無料で購入できます。

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posted by hermit at 01:06 | Comment(0) | 小説・フィクションその他

2009年12月04日

【小説】きみの友だち@重松清

大人げないですが、また泣ける小説を読んでしまいました。まったく重松清という作家さんは毎回なんという琴線に触れる小説を書くのでしょうか。重松さんには「家族」をテーマにした小説が多いし、ご本人も意識して書いているのだろうと思います。

さて内容は交通事故で足が不自由になってしまった恵子と、腎臓に病をもち学校も休みがち由香の2人の学生とその友だちを主題にした連作短編小説です。それぞれの短編の主人公となる人物は2人はもちろん恵子の弟の優等生にクラスメイトのひねくれ者それに弱虫な八方美人まで、読者それぞれがもつ性格ともいえるし、すべての人がそれぞれの性格を持っているともいえます。

本編の大きなテーマは「友だち」って何だろう?ということです。それぞれの主人公がいじめやグループといったものやライバルという人間関係のなかで友だちを模索しています。主人公恵子は足が不自由になったことをきっかけにいじめにあいます。しかし、ひょんなことからクラスで独りぼっちの由香と出会います。恵子に言わせればおっとりでトロいけど優しい由香。きつい性格の恵子とおっとりな性格の由香は、まるで2人で1人のような、隣にいても自然で一緒にいなくても寂しくない関係となるのです。ですがクラスメイトに友だちなの?と問われれば「さあ」と答えます。

そんな中であるクラスの人気者は人物相関図まで作って、仲間はずしにあわないように道化を演じます。ある子は友だちを失うことが怖くて心身症となってしまいます。ある転校生は転校前でのいじめが忘れられずクラスメイトの色目ばかりを伺いおどおどしてしまいます。ある先輩は強がることでしか人と関係を結べません。たくさん友だちを持つことやグループに入れて安住しているみんなぼっちの子。

さて友だちとは何でしょう。前述した子供たちの性格や関係に思い当たる節はありませんか?・・・そうです。これは何も子供たちだけのことではなく、大人社会でもそのまま同じなのです。ひとつの会社また部署をクラスと置き換えてみてもいいですし、友達グループを派閥と置き換えてもいいでしょう。先輩を上司と部下に置き換えてもいいし、人気者の道化だって同じです。これは「友だち」をめぐる読者それぞれの物語といっていいと思います。

さて「友だち」って何でしょう。友だちはいますか?恵子の言う「まるで2人で1人のような、隣にいても自然で一緒にいなくても寂しくない関係」たぶん、そんな友だちをもった人は幸運だと思いますが、実際はそんなにいないんじゃないかなと思います。

しかし、結局友だちについての答えは本書にはありません。それに答えは読者それぞれの心の中にあるのだと思いますから。また恵子も由香ちゃんを失うことになります。それは予期していたことであり、永遠の別れともなるのです。

由香の言葉が心に残ります。
「中学に入っても一緒にいていい?」
続けて
「わたし、途中でいなくなっちゃうかもしれないけど、一緒にいてくれる?」

これは楽しい思い出の記憶が多くなればなるほど、やがて来る別れが恵子にとってつらくなるという意味での由香の言葉です。

それぞれの登場人物たちのつらさや悲しさそして苦しみが切なくなります。何故か夏目漱石の「こころ」を思い出しました。これも親友を失ったことを主題にした物語です。恵子は友だちについてこんなふうなことを言っています。松葉杖の私と鈍くて足の遅い由香と、歩く(進む)速度が同じだった、ゆっくりゆっくり、マイペースに一緒に歩けたことだと。この物語には由香を失った恵子のその後も書かれています。さてその後の恵子はどうなってしまうのでしょう。

そして「友だち」とは何でしょう。
あなたも「友だち」について考えてみませんか?

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2009年11月30日

【小説】世界の中心で、愛を叫ぶ

ノンフィクション読みとしてはこの種の純文学について語る言葉をあまり持たないことを、最初にあらかじめ正直に書いておきます。そうはいってもずいぶん前のベストセラーなので読んでみた感想なのですが・・・・。

世界の中心で、愛をさけぶ 小学館文庫
世界の中心で、愛をさけぶ 小学館文庫

う〜む、これってある意味ファンタジーですよね?ファンタジーっていうのは全く非現実的な設定であまりにもテンプレすぎるということかな。まだ学生の男女の純愛&白血病という設定、あまりにこの形式って多くありませんか?センテンスの端々に「これから泣けるところだぞ」って感じのレトリックがあって、案の定ラストでは病院から逃げ出した、ヒロインが空港で倒れる、そこで抱きとめた彼氏が“愛を叫ぶ”んですよね。(そこで平井堅がドーンみたいな)

恋空〈上〉―切ナイ恋物語
恋空〈上〉―切ナイ恋物語

これってその後(なのかその前なのか定かではないけど)恋空とかにも通じるものがありますね。恋空というのは聞くところによると、純愛を絡めつつ、単に性にだらしない男女の物語らしいのですが、こういうのは、ある意味様式美の世界というか、ちょっと脱線しますが、うちの母が物凄く韓流ドラマにハマッているんですけど、ストーリー展開がほとんど一緒って感じがするんです。そういえば、冬のソナタとかも白血病ネタだったでしょ。

鉄道員(ぽっぽや) (集英社文庫)

もう少しあからさまにやるんなら浅田次郎御大ぐらい派手にやってくれないとなぁ。僕の場合、本書は何の感情の起伏もなくスーーっと読んでしまったという読後感でした。逆に批判の多かった「蹴りたい背中」は意外と好きでした。「蹴りたい背中」の場合、質感があったように思います。つまりは男の欲望というかそのへんの闇と、女の小賢しさというかそのへんのこともフォローしてた。

蹴りたい背中 (河出文庫)
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たぶん「セカチュー」があまり僕に受けなかったのは、全編を彩る爽やかさだろうなと思う。ちゃんと生死とか愛とか描かれているけど、反対の部分がまったく感じられない。そういう部分もありそうにはあるけど、これも青春とか爽やかとかそういうフィルターで誤魔化されていると思う。意外と面白かった部分はおじいさんが昔好きだった女性のお墓がどうのという部分かな。あれ以外特段感じるものはないような気がしました。

日曜日の夕刊 (新潮文庫)
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純愛もので好きなものといえば、まだ重松清のほうが良いと思う。彼は小説と同時にルポも書くから、人間描写がまだリアルだと思う。純愛でもそれぞれ過去や影を抱えていたりする。彼の小説もまたテンプレ的なものだけど、影や過去のなんかの人間像がはっきりしているだけでずいぶん印象が違うと思うのです。

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人間椅子  江戸川乱歩ベストセレクション(1) (角川ホラー文庫)

腐しまくりましたが、まあ僕が読んだ小説といえば江戸川乱歩の人間椅子とか、そんなもので小説原体験が作られているので、まあご勘弁を。
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posted by hermit at 16:49 | Comment(0) | 小説・フィクションその他

2009年10月06日

【トラウマ小説】「疾走」重松清

重松清さんの小説は直木賞を受賞する以前からずっと読んでいました。特に重松さんの家族小説が好きでそればかり追っていた感じ。一番好きなのはマイナーな作品だけど「日曜日の夕刊」という短編集。

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そんな意味でこの疾走という作品もどこか家族の暖かさというか救いのある小説かと思い手に取りました。しかーーしです。この作品は全く登場人物に救いは無かったのです。それに性描写や暴力描写がすごいのなんのって。途中で何度も挫折しそうになったのですが、重松さんだからきっと最後には救いがあるのだろうと思って読んでいましたが、最後まで救いは無く・・・。それ以来重松さんはおろか小説自体読まなくなりました。

救いのないものなんて現実にいくらでもあるし、重松さんはさすがに力量がある作家さんなので、小説自体もリアルで真実味にあふれているだけにこの作品はトラウマになりました。

ネガティブといえばネガティブですが、今読み返すとラストの主人公とヒロインの描写がもしかして救い的な意味合いを持っていたのかなと思います。それから僕はノンフィクション読みになったというわけです。

それから幾年かたちやっとそのトラウマも癒えてきて小説も少しずつ読めるようになりました。ちなみにまだ疾走みたいな劇薬小説は読めませんが。それと僕は謎解きつまりミステリーにもあまり関心が無く、映画もドラマもミステリーは見ません。やっぱり人間ドラマを見たり読んだりしてしまいます。

その後重松さんはまた救いのある家族小説や親子小説を書き始め、僕も安心して読めるようになりました。疾走のようなリアリスティックな作品が好きという方には失礼ですが、やっぱり小説や娯楽作品は救いのあるものが好きです。私自身現実には救いのないことがたくさんあることはノンフィクションを読んでみたり、今までの人生で充分知っていますから。某書評家さんの表現を借りれば劇薬小説ですが、重松さんの渾身の作品であるには間違いないとも思います。

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2009年10月02日

夏目漱石「こころ」

漱石後期三部作の終局をなす作品です。前半は書生から見た主人公が描かれ、後半は主人公の告白体で書かれています。しみじみと読める作品です。主人公は世捨て人のような生活をおくる「先生」と呼ばれる人物。若き日無二の親友から恋人を奪ったことで、親友の自殺を体験しそれを十字架のように背負っている孤独な人物です。

先生は毎月その親友の命日になると墓参りに出かけます。今では妻となった親友から奪った恋人にも知らせずに。書生はそんな先生に興味をもちますが、結局先生の死によってからしか真相は分かりませんでした。

漱石がこの作品で書こうとしたのは、人生における十字架と贖罪かなとも思います。漱石自身にもそういった何がしかの十字架があったのか。先生自身も裏切られたことがあるという設定でしたから、自分が誰かを裏切るということはまさに自分を裏切るようなものだったのでしょう。

ひとつの描写が長くて読み込むのに時間がかかるかもしれませんが、読後しみじみとする作品です。先生は最後までそんな妻に真相は知らせず、残った妻には不自由なくさせてほしいという言葉が痛々しいものです。

どこかで自分の死を覚悟し、その時期を探っていたような先生。先生は救われることは無かったのか、若き日の過ちというのはこれほどに一生の重荷になるのかと感じます。30代、40代、50代、年代によって読後感も違うのかなとも思います。そして現代においても誰もがそんな心の十字架を背負って生きているのかなと思います。先生は死を選ぶしかなかったのか、小説といえど悲哀に満ちた物語でした。

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2009年10月01日

ヘルマンヘッセ シッダールタ

車輪の下などで知られるヘルマンヘッセ芸術の金字塔とまで言われる作品です。
ウィキペディア(Wikipedia)でも分かる通り、ヘッセはキリスト教信者ですが、一種ヘッセにおける苦悩の人生の中で見出したひとつの悟りのようなものの結晶ともいえるものだともいえる作品とも思います。

私自身もヘッセまでとはいわずとも本書を読んでいるちょうどその時は、人生に迷い苦しんでいた頃なので、ヘッセがどのような思いでシッダールタという異教徒の悟りを描いたのかということを考えるとそれだけで深く考えてしまいます。

作品自体はシッダールタという若者が釈迦と呼ばれるまでの変遷、つまりはインドの最も最高位であるバラモンの地位を捨て、悟りを開くまでの延々とした旅の過程を描いています。時に酒色に溺れ、自分の考えだけに固執し煩悩のかぎりを尽くす場面も描かれています。唯一無二の同志であり友人であるゴーウィンダとはその思想において袂を分かち、しかしは同じ道を歩いていく。

冒頭ではただの青年であったシッダールタは、最後に悟りを開く頃にはただ体を包む布だけとなり、なにより満たされた一人の覚者として描かれています。ヘッセはシッダールタの悟りを川の流れから得ます。とめどなく上流から流れ続ける川の水流から時間の超越を学びとり、何より悟りとはもしやその川で渡し船をしている老人のような者こそが得ているものではないかということも示唆されているようにも思います。そしてシッダールタ自身がそうしたように、自らも最愛の息子からも去られます。

さてまだ若輩の私のような者にはヘッセがシッダールタに見た悟りというものがどんなものだったのかは本書を一読してもまだ正直つかめなかったところもあります。ヘッセの幾度もの挫折や自殺未遂。その苦悩の人生からヘッセは異教徒の求道者に何を見たのか。ヘッセの人生からこの作品を考えるたびに深い心の悩みを感じます。

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